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4WDをレース界で成功させたアウディ・クワトロとライバルのプジョー205ターボ16

グループB全盛の時代、WRCは非常に高速化した時期でもありました。
その時に生まれたアウディ・クワトロは、ラリーだけではなく、自動車というもの自体を変えていったのです。

ラリーのおける4WDの幕開け

ラリーにおける4WDの存在は、今では当たり前のものとなりました。
アクティブ4WDシステムは、なければならないといわれるほどの存在であるともいえるでしょう。
その先駆者ともいえるのが、グループ4時代に登場したアウディ・クワトロだったのです。
1981年に登場すると、とんでもない速さを見せつけます。
緒戦となったモンテカルロで、6つのSSで後続に6分差をつけるという快挙を見せるのです。
結果的にリタイアしますが、世界に衝撃を与えた瞬間でした。
その4WDが完全に開花して行くのは、グループBとなった1983年以降です。
圧倒的だったはずのランチア・ラリー037と一騎打ちになり、マニュファクチャラーズでは2位になるものの、ハンヌ・ミッコラがドライバーズタイトルを手にします。
1984年になると、アウディ・クワトロの時代がやってくるのです。

4WDに熟成を重ね、2WDだったラリー037は、全くかなわなくなります。
さらに、ショートホイルベースのアウディ・スポーツ・クワトロを投入したことで、もはやかなうものはなくなるのです。

フロントヘビーとプジョー205ターボ16

圧倒的だったアウディ・クワトロの弱点は、そのバランスにありました。
フロントヘビーだったアウディ・クワトロは、重量バランスに問題を抱え、ハンドリングはシビアでだれでも使いこなせるものではなかったのです。
この問題を理解していたプジョーは、グループBの規制緩和とともに、205ターボ16を投入します。
実際には見た目だけはプジョー205ターボ16でしたが、中身は全くの別物であり、とんでもないハンドリング性能を持って登場するのです。

アウディは、このままでは勝つことができないと、グループS設立に向けてニューマシンを投入しようと計画します。
しかし、グループBの消滅とともに、グループSの計画も消えてしまい、アウディチームも消滅していくことになるのです。

理想的だった4WD

4WDのコンセプトを見てみると、非常に論理的な作りでした。
摩擦係数の低い路面では、4WDのトルクが駆動力と安定性をもたらしたのです。
逆に高い場面では、駆動力を路面に伝えやすく、高速走行ができるようになります。
これは、エンジンパワーが大きくなればなるほど恩恵をもたらす結果となったため、グループBにぴったりだったともいえるでしょう。
ただ、その4WDをうまくコントロールすることができなかっただけのことであり、それをアウディは可能とした時点で、勝利を約束されていたといえるのです。