11-9

WRCの中で伝説ともいえる速度だったプジョー205ターボ16の存在

WRCには、伝説的名車がいくつも存在します。
その中でも、プジョー205ターボ16は、世界を魅了するだけの素晴らしい車として、今でも伝説になるほどでした。
日本車から見れば、とても尋常ではない速度で走る205ターボ16は、とてもかなう存在ではなかったのです。

ジャン・トッドによる改革と大成功

2017年までFIA会長を務めることになっているジャン・トッドがまだコドライバーだった時代、1981年までプジョーチームに在籍していました。
その立場にも限界を感じ引退を決めたのち、マネージャーに就任するのです。

ジャン・トッドは、グループBで勝てる車両を求め4WDを選択。
それを205ターボ16に組み込み、それでも飽き足らずミッドシップレイアウトを採用して行くのです。
まだ4WDとして走っていたのはアウディ・クワトロだけであり、さらにミッドシップにするなどだれもやったことがなかった時代でした。
それでも、レイアウトの問題を解決させ、耐久性まで持たせることに成功し、のちのデファクトスタンダードにさせていくことになるのです。

205ターボ16は、大成功を上げていきます。
驚異的な速度で走っていたグループBの中でもトップスピードを誇り、最速といわれている2年間の間、マニュファクチャラーズタイトルとドライバーズタイトルを圧倒的な強さで獲得して行くのです。
だからこそ、今でも伝説的なグループBカーとして語り継がれてきています。

驚異的な成績を支えた性能

あまりに驚異的だった205ターボ16の馬力を見てみると、ブースト圧を3barに設定しても540psまでしか引き上げることができません。
それでも、1tを切るボディで1800ccのエンジンであることを考えれば、異常なほどの出力です。
しかし、この時期1000psを超えているといわれたマシーンも多かった中、かなり控えめな出力だったといえるでしょう。
それでも、4WDの優れた走行性能と35:65という駆動配分が功を奏し、さらに最終的にはブレーキの冷却ダクトまで装備させたことで、驚くほど高い戦闘力を持っていたのです。

プジョーの失敗と撤退

プジョーは、グループB消滅とともにワークス活動も休止します。
しかし、ヨーロッパの自動車メーカーが参戦しにくかったグループAの時代が終わり、席巻していた日本車に対抗するためにプジョーは206 WRCを持って参入を再開するのです。
緩和されたWRカーにターゲットを絞り込んでいたプジョーは、それまで活躍していた日本車勢を駆逐。
2000年から2002年まで3連覇を飾るのです。
そして、307WRCを投入しますが、あまりにトラブルの多い車であり、エースドライバーだったグロンホルムには、うんざりだとまで言われてしまいます。
2005年には、ワークスとしてWRCを去っていくこととなるのです。