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三菱悲願のWRC制覇を成し遂げるランサー・エボリューションの革命

グループAの幕があけ、日本車の時代をトヨタが切り開いたころ、三菱もまた輝き始めました。
一貫してラリーにこだわりを見せていた三菱が、時代の波を受け革命に乗り出していくのです。

世界を革命していったランサー・エボリューション

ギャランVR-4を投入するものの、思ったような成績が挙げられずに水を開けられてしまっていた三菱は、1993年にランサー・エボリューションを投入します。
今でもランエボとして知られる名車の登場ですが、ギャランよりも軽量にもかかわらず、10psパワーアップしたエンジンを搭載。
驚異的なアンダーステアを出すものの、すさまじい直進能力を持っていました。
しかし、同時期に登場するスバル・インプレッサの活躍があり、陰に隠れる形になってしまっていくのです。
2年間の間初代は戦っていきますが、8戦して2位を得るのがやっとでした。

しかい、三菱の革命はここから始まります。
1995年第2戦、スウェディッシュ・ラリーで初勝利を挙げ、ランサーエボリューションIIIにバトンタッチし、1995年から1996年の14戦中6勝を挙げる大活躍を見せるのです。
第1世代と呼ばれるランサー・エボリューションは、スバルと対等に戦える車に成長して行きました。

1997年からは、第2世代ランサー・エボリューションIVが登場してきます。
三菱の栄光期ともいえる時代で、1997年第1戦から1998年第4戦まで18戦で6勝を挙げ、ドライバーズタイトルもトミ・マキネンが獲得して行くのです。

1998年に登場してくるランサー・エボリューションVは、さらなるレギュレーション対策も踏まえ、大型化して行きます。
その狙いがはまり、1998年のドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルのWタイトルを手にするのです。
名実ともに世界最速のラリーカーへと成長したといえるでしょう。

1999年には、ランサー・エボリューションVIでトミ・マキネンが3年連続ドライバーズタイトルを獲得しますが、2001年にはWRカーへと時代が移り、ワークスマシンとしての系譜は終わりを告げることとなるのです。

WRカーの台頭と三菱自動車の衰退

WRカーへと移っていく中、ランサーもセディアをベースとしたWRC2を投入します。
しかし、レギュレーション対策もさほどできていない中、熟成も進まず苦戦を強いられます。
1度も表彰台に立つことなく、三菱を支えてきたトミ・マキネンも引退してしまいます。

2004年にはWRC4を投入するものの、安定した成績が出せないまま2005年にWRC5スイッチしますが、モンテカルロで3位、オーストラリアで2位になるのがやっとだったのです。
折からの不況と三菱自動車自体の業績の問題もあり、2006年にはワークス活動を休止してしまうことになるのです。
三菱のラリー活動を支えてきたラリーアートも解体され、ランサー・エボリューションを含むシリーズはプライベーターに託されるようになって行きました。