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ヨーロッパで栄光に輝いていくスバルとコリン・マクレー

WRCはグループAとなり、トヨタが時代を切り開いていきました。
日本車の時代の幕開けとなり、2リッターターボという形がトレンドとなる中、トヨタ対スバル対三菱という戦いになって行くのです。
7つのワークスが集う時期もあり、この時代が最も華やかだったともいわれています。

ヨーロッパに輝いたスバル

スバルは、ヨーロッパにおけるブランド確立のため、ラリーに参戦していました。
時代的に三菱ギャランVR-4、ST165セリカGT-Four、フォード・エスコート・コスワースのほか、絶対的な地位を作り上げたランチア・デルタHFインテグラーレの時代です。
そこにレガシィを投入し戦い始めたのです。
それまでレオーネRXを投入していましたが成績は振るわず、満を持してレガシィを投入するものの、その後エースドライバーとして成長していくコリン・マクレーが1勝を挙げるのがやっとでした。
それでも、4年間戦い続け、機を見て投入されることになるのが、一時代を築くことになるインプレッサだったのです。

グループAの1993年、初代インプレッサは、9戦目の1000湖ラリーに登場します。
スイッチした初戦でしたが、アリ・バタネンの手によって2位に入ってしまうのです。
1994年には、ランチア陣営に移籍していたカルロス・サインツが加入し、一気に花開いていくことになります。
カルロス・サインツは、ドライバーとして完璧を求めることで知られていましたが、チームやセッティングまで求める完璧主義者でもあったのです。
これが、伸び始めたスバルにはまり、1995年第6戦アクロポリス・ラリーで初勝利を上げます。
成長してきたコリン・マクレーが2勝を挙げて、マニュファクチャラーズポイント2位に輝くのです。
1995年には、8戦5勝と圧倒的な強さを見せつけ、マニュファクチャラーズとコリン・マクレーのドライバーズタイトルというWタイトルをゲットしました。
グループA最強のマシーンとして位置づけられるようになり、スバルの名はヨーロッパで大きく知られるようになっていくのです。

マクレーとスバルの凋落

インプレッサは、1997年から初の2ドアに変わります。
3年連続のマニュファクチャラーズタイトルを達成しますが、マクレーが1998年にフォードに移籍。
クラッシャーといわれ、多くの車を壊してもめることも多かったマクレーでしたが、これを機にタイトルからも勝利からも遠のいていくのです。

2001年に2代目4ドアを投入すると、バーンズとソルベルグがタイトルを獲得。
ラリージャパンでも初代王者になりますが、戦闘力の向上が求められるようになり、2008年に形式としては3代目にスイッチします。
ボディ形状をコンパクトにすることで、シトロエンやフォードとも戦えるようになりますが、すでに時代の変化についていくことができず、2008年12月に撤退するのです。

悲しいことですが、この前年、スバルを支えてきたコリン・マクレーが亡くなっています。
こうした背景もあり、スバルにはもう求心力がなくなっていたともいえるでしょう。