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日本車のラリー時代の先駆者 セリカの栄光と終焉

ラリーがまだグループBの時代、日本車も参戦していましたが、ランチア・ストラトスから始まる時代についていくこともできませんでした。
そんな中、徐々に適応してきた日本車メーカーがトヨタだったのです。
そのトヨタが、ラリーということで投入して行った名車がセリカだったといえるでしょう。

時代の変化の時に登場

セリカがラリーに登場するようになるのは、グループBが始まる1983年のことです。
ランチア・ラリー037が席巻し、4WDのアウディ・クワトロが生まれ時代を変えようとしていた頃でした。
異次元のレベルになってきたころでもあり、オーバーパワーの車が生まれ始めてきたころに投入されたセリカは、何レースかは勝つものの、結果的に相手とはならなかったのです。
熟成させるだけの力もなく、トヨタは苦戦していきます。
やがて、グループB時代が1986年に突然終焉を迎え、トヨタはグループAの410psをたたき出していたスープラを投入するのです。

このスープラは、セリカXXとしての位置から独立してブランド化されたことからも期待されましたが、時代はFRを受け入れてはくれませんでした。
ランチア・デルタHFインテグラーレが4WDとして席巻し、フォード・シエラ・コスワースなどの競合が虎視眈々と狙っていた時代です。
トラクションに劣るFRのハイパワーなどは、相手にもしてくれなかったといっていいでしょう。
そこで、満を持して投入されるのが、ST165セリカGT-Fourだったのです。

ST165は、1990年に期待に応えるかのようにカルロス・サインツを擁し、初めてドライバーズタイトルを手にします。
トヨタ初のフルタイム4WDターボは大成功して行くのです。

一時代と終焉

ST165で成功をおさめたトヨタは、1992年待望の新型ST185を投入します。
トヨタとラリーの象徴ともいえるST185は、販売から2年の熟成を掛け投入されました。

特徴的なリトラクタブルヘッドライトと巨大な開口部をもつフロントボンネットを持つだけではなく、トヨタの名機ともいえる3S-Gを心臓に持っていたのです。
レギュレーション限界の299psをたたき出したST185は、ランチャ・デルタの最終バージョンでもあったスーパーデルタと真っ向勝負を繰り広げていきました。
1992年には、2度目のドライバーズタイトルをサインツが手中にします。
1993年にはサインツが移籍した穴を、ユハ・カンクネンとディディエ・オリオールが埋め、初のメイクスタイトルに輝きました。

盤石なものとするため、ST205の熟成と投入時期を狙っていきますが、1995年ターボリストリクターにより3S-Gエンジンはパワーを生み出せなくなります。
あまりにも先進的だった、スーパーストラットは調整が難しく、ベストなセッティングが見出せません。
そんな時に、ターボリストリクターの取り付け位置をごまかしていたことが発覚。
トヨタはポイントのはく奪と1年間の出場停止処分を受け、ワークスとしても休止、セリカもプライベーターに渡されつつ消えていくこととなったのです。