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圧倒的な時代を築いたランチア・デルタHFインテグラーレの軌跡

ランチアは、グループA対応車両として大急ぎ開発を進めなければいけない状況でした。
1986年のデルタS4のドライバーだったトイヴォネンの事故を受け、グループBが廃止となったからです。
そこで、市販車ベースのグループAに対応させるために、本当に1979年に発表したデルタをWRC用に対応させることになって行きます。

圧倒的なデビュー

ランチア・デルタS4は、市販車ということを全く考えていないWRC専用車両でした。
今度のデルタは、あくまでも市販車なのであり、1980年にはヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得するほどデザインが好評な車だったのです。
そこで、高級モデルであったHF4WDをベースとし、WRC用に開発していくことになります。
デルタHFは徹底した空力と冷却を意識したデザインであり、ターボエンジンを搭載することで、ハイパワーを実現します。
名前も変更し、HFインテグラーレとなりました。
特に目立ったのが、リアのブリスターフェンダーであり、舗装路用に幅広のタイヤを装備することができたこともあって、1986年のWRCのタイトルをかっさらって行ってしまうのです。

さらに改良が進められて、2代目には16バルブエンジンとなり、ブーストもアップ、インジェクターも拡大し1.6リッターターボエンジンは、200psを超えていきます。
これにより、ランチ・アデルタHFインテグラーレの時代を迎えることになるのです。
実際に改良が進められた結果、1991年あたりには、グループBを超える速さになっていました。
特に最終型になる1991年に登場するエボルツィオーネは、210psまで改良され、コンストラクターズタイトルを獲得して行くのです。

色あせない輝かしい記録

WRCの歴史の中で一時代を築いていたランチアですが、親会社であるフィアットの意向や実質開発をしていたアバルトとの関係もあり、1991年にワークスチームが撤退。
それでも、1992年にプライベーターのジョリー・クラブがメイクスタイトルを獲得するものの、ワークス活動は休止していくことになるのです。

WRCの時代は、急速に力を付けてきたトヨタ・チーム・ヨーロッパへと変わりつつあるときでもありました。
それでも、獲得したタイトルは、6シーズン6度のワールドタイトルなのであり、いかに圧倒的であったのかがわかることでしょう。

トヨタもセリカを投入したのは、このデルタHFインテグラーレに勝つためであり、それだけ世界的に驚異的なライバルでもあったのです。
今でもラリーというと、この車を思い出す人が多いように、圧倒的な強さの時代だったといえるでしょう。